40代独身生き方を考える 〜母の膵臓癌と介護離職と自分の人生〜

これからの時間どう過ごすか…日々考えながら試行錯誤して生きてます

もうすぐ母の一周忌

こんばんは、hachiです。

 

ご無沙汰しております。

本当なら色々なこと綴っていきたかったのですがなかなかそんな気にもなれない日々を送っていました。

私の近況報告。

父と2人で生活しています、家政婦ですね…

父の命尽きるまで一緒に居ようと思います。

 

彼氏ができました、地元のSNSグループで知り合った方とお付き合いが5月に始まりました、こんな精神的にまだ立ち直れていない私を受け入れてくれている彼に感謝です。

 

お仕事、新規就農致しました、自分でもびっくりですが農家になりました。

収入的には5年先までは0円です…そんな新規就農なので助成金などは何も該当するものが無く無職同然なのですが今の私には自然を相手に一人黙々と作業する事が癒しでもあります。

 

母の死から約1年、私の中で一周忌と言うのが区切りと言った感覚があって、一周忌を迎えたら今逃げているアレコレと向き合おうと思っています。

 

ざっくり近況報告、このブログも大分放置してしまったので少しずつ、今に至るまでの事を書いていこうと思いますのでお付き合い宜しくお願い致します。

 

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今年も家庭菜園でトマト作りました、農作業中いつも母を思い出してしまいます、私一人の家庭菜園は今年が初めてでした、黙々と作業する事が癒しです。

 

 

母の膵臓癌を振り返る①

 

こんばんはhachiです。

 

母の膵臓癌が分かったのは2019年3月19日、それから1年半母は癌と闘いました、母は体調が悪い事を隠す事が多かったですが苦しい事も多かったと思います、母は自分の最期をどう思っていたのだろう…まだ死なないと思っていたのに気づいたらもう命尽きていたという感じなのかな、最後の2週間位は大麻で意識が朦朧としていたと思うし…でもそれがずっと付き添っていた私には少し救いだった事も確かです、あの状態で意識がはっきりしていて痛い苦しみに耐えなきゃいけなかったとしたらそれは付き添う私もそして何より母が辛かったと思う。

私は霊視とチャネリングが少しできるのだけど8月のお盆を過ぎた頃1度母の事を視た、半信半疑でしたが母の亡くなる日までのカウントダウンが始まってしまった、こういう事は当たって欲しくなかったけどだいたい当たってしまった、でもこの事が私を冷静にしていた部分があるから賛否は考えないようにしようと思う。

 

今振り返ると母の病気が分かり、入院、手術、抗がん剤と治療は進んで行きましたが多分だけど主治医には手術後退院したあたりには母がどうなるか、あとどれくらい生きられるか、だいたい分かっていたように思う、でも、きっと主治医の先生もどこかで奇跡が起きる事を願っていたのかなとも思います。

先生の言葉に違和感を感じ始めたのは今年の2月頃、その時はなぜそんな事を言うのかと怒りを感じた事もありましたし転院させようかと考えた事もありました、でも先生にはもう母の最期が見えていたのだと思う、そして最期までの時間をどう過ごすかの選択を家族に託したときだったのだと思います。

私は母の寛解をまだ願っていたし、奇跡が起こるのでは無いかとも思っていたし、諦めたくなかった…

はっきり今後の方針を先生に求められたのは3月です、この時の選択というのは緩和ケアに移行するか抗がん剤を続けるかという事でしたが私達家族は抗がん剤を続ける事を選択しました、結局実質3ヶ月後には治療をやめる事になりましたがこの時の選択が正しかったのか、私なりに今思うのはどちらを選択しても間違いではなかったという事です。

この時緩和ケアへの移行を選択してたら母は好きなものをもっと美味しく食べられたかもしれないし、どこかへ出掛けることもできたかもしれない…でもきっともっと早く命は尽きていたと思います、抗がん剤を続けた事で食事は美味しく食べられなかったかもしれないけれど生きていた事で見れたもの感じられたものもたくさんあったと思います、だからこの選択には間違いは存在しないと思えます。

この選択をしなければならない時が来ない事を心から願いますが末期の癌患者さんやその家族の方々が選択を迫られる事があるかもしれません、そんな時はどちらを選んでも間違いはないから自信を持って選んで欲しいと思う、どちらを選んだとしてもまだ希望はあるし、状態次第で選択をやり直し軌道修正していく事もできる、一番大事なのはその時起きている現実から目を背けず病気を受け入れ、もしかしたら来てしまうかもしれない最期をどう迎えるかを真剣に自責で考え、患者さん本人の願いをなるべくひとつでも多く叶えてあげる事なのではないかと思います。

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母はお花が好きだった…

お花だけはちゃんと飾ってあげたいと思います。

 

 

 

 

 

 

母の死から2週間。

こんばんはhachiです。

 

母が亡くなって2週間が経ちます、色んな手続きなど父の代わりに走り回っております。

母の死はしっかり受け止めておりますが、ここ数日涙が出てしまう方が多くなりました。理由は様々ありますが大きくは2つ、

母の物を整理するのがつらい。

買い物に行くと母と一緒に買い物した記憶がよみがえり涙が溢れてしまう事。

ほぼこの2つです、自分でもわけがわからないけど涙がぼろぼろ溢れて止める事が出来ないんです、買い物中にぼろぼろと涙が…マスクがあって良かったと思っています。

私は母の膵臓癌がわかるまで26年間一緒に暮らしていなかったので思い出すのはまだ母が少しだけ若くて、実家に帰省した時に私の好きなものを買いに行く時の母、嬉しそうに普段より少し豪華なものを何でも買ってくれた母、そんな母を思い出してしまいダメなんです。

なぜもう居ないんだろう…人はいつか死ぬしそれが今だっただけ、いつかは来る別れが今来たのだとわかっていてもダメですね。

最近冷静に母の病気になった時から今までを振り返ります、後悔はないけれど選択してきた事に違う道もあったのではないかなど、このブログを読んでくれた方にもし同じような出来事が起きた時、後悔は無いと思えるように私が感じた事など少しずつ書いていこうと思います。

 

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しばらく放置してしまったピーマンが赤ピーマンになってました、食べられるようなので食べようと思います。

 

 

2020年9月18日 母永眠。

 

こんばんはhachiです。

 

9月18日21時40分、母、永眠致しました。

 

最後はゆっくりと少しづつ心拍数が下がり、呼吸の間隔が長くなり、心拍数が0に…

本当にゆっくり、ゆっくりと旅立ちました。

人間の命はこうして終わっていくのだと、癌という病気ではありましたが最後は苦しまなかったこと、家族で見守れたこと、最良の最後だったと思えます。

 

それからは親戚への連絡や、退院の諸々など母の死の余韻に浸ることも出来ないくらいダダダダーっと色々なことをし、家についたのは深夜2時。そして翌日は朝8時からお寺、葬儀場との打ち合わせ、日程を決めたら親戚、父、兄の職場への連絡、母のメイクなどなど、こんな忙しい時に親戚のおばさんからTEL、家に来たけど誰もいないのはどうしてかと…家でお通夜はしない、今葬儀場で打ち合わせだと伝えたところ迎えに来てくれと…冗談じゃないよ!ここからはもうイライラしっぱなし、そのままお通夜の時間まで家に居座られ、関係ない話をされコーヒー飲みたいだの、お腹が空いただの、私は母の棺に入れたいものをゆっくり決めたいのに、どうしてこういう時にこんな仕打ちをするんだろうか。

今まで数十年会っていない親戚にこんな仕打ちをされるなんて、そして母がいなくなった途端に家を自分の家のようにウロウロ、私はこれからどうするのか、母がいなくなったから自分が責任を持とうと思っていると…

余計なお世話です!私もういい大人ですし結婚もしないですし、仕事をして普通の生活は出来ますからお願いだからほっといて下さい!

この親戚はAとしましょう、子供のいない親戚Bも最悪で母がいなくなったら今度は自分が世話をしてもらおうと私に言い寄ってきています、一緒に住んであわよくば養子に来てもらおうと、本当ごめんなさいですが何があってもそれはしたくありませんから…

ほ!ん!と!う!に!最悪です!!!

こんな調子でお通夜、告別式まで付き纏われ本当に本当に嫌でした、母と最後の夜を静かに過ごしたかったのに…これだけは悔しい、ずっとこの悔しさは忘れないと思います。

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告別式のお花の祭壇。

ブルーと紫と白、綺麗だった。

 

それと最後にこのブログを読んでくださっている方、Twitterで私と絡んでくださった方、励ましのコメントを下さった方、本当にありがとうございました、母はいなくなりましたがこれから介護離職からの自分の人生を見守ってくださると光栄です。

 

2020年9月17日 面会

こんばんはhachiです。

 

今日は母は声をかけても反応がないことが多く、血圧も52、いつ何があってもおかしくない状況です、今日は病室に泊まります。

母の兄弟に連絡をし面会に来てもらいました、あと孫二人にも、今世の中がこんな状況なので家にいてもほとんど人には会えずにいました。

最後会っておいた方が良い人たちには面会してもらったので少し心が楽になりました。

家に居る父が心配なのですが数日間は食事とかちょっと我慢してもらって何とかしのいでもらおうと思います。

今は寝ている母、昼間は苦しそうでしたが今は落ち着いています。

もしもの時の手配も済ませました、コロナウィルスの影響で母には申し訳ないのですが盛大には無理そう…でもしてあげられることはしてあげようと思います。

病院は静かです、仮眠ベッドを用意してもらいましたが眠れそうにありませんね。

今夜は新月ですね、空は暗いです。

 

 

2020年9月16日 見ているのが辛い

こんばんはhachiです。

 

今日は母は、ほぼ色んなことがわからなくなっています、寝ているのか、起きているのか目は開いてるのか開いてないのか…

話しかけても反応がありません、何の反応がない母の横で涙が止まらなかったです。

辛いな…

癌で死ぬというのはこう弱っていくのかと、でも母が意識が朦朧としていた方が楽なのではないか…そんな風に思っています。

今日はこれ以上書けない…

 

 

2020年9月14日 血圧が70まで下がってしまいました

 

こんばんはhachiです。

 

母の血圧が70まで下がってしまいました。

息も苦しそう、ずっと何かを喋っているけれど、何か夢と現実の間にいるみたいです、話し方も酔っ払いみたいな喋り方…意思疎通は取れません。

看護師さんに呼ばれてもういつどうなるかわからないですと、わかってはいましたがいよいよその時が近いのかなと。

でもなぜか悲しい気持ちよりもあれしなきゃ、これしなきゃ、とかそんなことが頭の中をグルグルしています。

夜、付き添いも可能ですよと…本来であれば付き添いをしていたいのですが家では父が体調を崩しています、あぁもうどうしたら良いのか、あっちでもこっちでも具合悪くて私はどうしたら良いんだぁぁぁと少しキャパオーバー気味です。

あとどれくらいだろう、これ以上苦しい、痛いそうならないと良いな…それが一番です。

家も片付けておかないと…

今日は頭の中も整理しないとだし、今日はこの辺で…

 

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