40代独身生き方を考える 〜母の膵臓癌と介護離職と自分の人生〜

これからの時間どう過ごすか…日々考えながら試行錯誤して生きてます

入院生活①

こんばんはhachiです。

 

昨年の今頃母の癌が発覚し、診察に行った当日から即入院となってしまった訳ですが急な入院でしかも家には家事を全くしない父が一人となってしまい、私はたまたま仕事の合間に実家に帰省していただけで、家の中のことは全くわからない、実は私が高校を卒業し一人暮らしを始めた後に家を建て替えた為実家には住んだ事がなく何がどこにあるのかもさっぱりわからなかったのです。まず私一人で一旦家に戻り入院の準備を始めた訳なんですが、何を持って行けば良いのか!?

病院から戴いた入院案内を見て買い物に行く時間はないしとりあえず家にあるもので1週間分位持っていけば良いかなと…パジャマやタオルは入院セット1日390円を借りる事としたのであとは下着!母の下着ってどこだ!?何着てるんだろうか70歳の下着って!?と大慌てでタンスを片っ端から開け何とか準備、あとでちょっと無理してでも母を連れて帰って来て準備するべきだったと…その時は重病人だと思ったけれど今から思えばまだこの時は元気にしてたんだよなって。

父と母二人暮らしで母が病気で入院になると父のご飯はどうするのだろうか、とか洗濯は誰がするのだろうか、とか母のことだけではない問題がたくさんあることに気付きました。私は翌日から仕事で遠方に行かなくてはなりません、今更休めないしどうしよう…職場に相談し、とりあえず一週間後からしばらく仕事はお休みすることにしました。入院した母と、一人家に残される父、大丈夫なんだろうかと心配しながらも翌日から仕事に向かいました。

その間に母は毎日検査、黄疸が出てしまっていたのでまずは黄疸の症状を取り除くことから始めていたようです。

一週間後家に戻ってみると洗濯物の山、父よ、そうだよね、お洗濯したことないもんね、母がいなくなったらどうなっちゃうのだろうか、父は一人で生きていけるのだろうか、とりあえずしばらくは私も仕事をお休みしたので家にいるけど…母は家に戻ってこれるのだろうか…絶望と、不安と、もっと早く見つけられたのではないかと言うやるせない気持ちとで、毎日泣いていました。

膵臓癌ステージⅣと当初診断されましたが主治医になった先生が切除可能境界ギリギリ、手術できるかもと言うことで詳細な検査の後、膵頭十二指腸切除術と言う手術の方法で手術してもらえることになりました、こんな田舎の小さな病院にこんな手術ができる先生がいた事が本当に幸運としか言えないと思います。

仕事をお休みし、毎日病院に通い、78歳の父の生活の世話をし、そんな感じで今に至ります、もう1年仕事していません、この歳で結婚は愚か仕事もしていなくて将来どうやって生きていけば良いのだろうか、ほんとに不安です。

 

手術の準備で購入したもので良かったもの紹介します、ほぼアマゾンで揃えました、病室にいる時に必要なものをその場で注文し翌日届く、アマゾンさんには本当にお世話になったし感謝です田舎暮らしだとこういった物は売っている店自体が本当にありませんから。前開きの半袖の下着、術後の日々の色々なトラブルから1日3回ほど着替えることになり結局たくさん買いました。

病院の売店で売っているものは白い物しかなかったので少しでも気分が上がれば良いなと色々買ってみましたがホックのものは母が自分で留められませんでした、そうですよね体からは管がたくさん、一人で起き上がれない、手には点滴ですもんね、結局はマジックテープになっっている物一択でした。

 

大崎メディカルさんのピンクの物は母も喜んでいました、やはり白いものばかりだと病気って言う感じが着ていてもあるようでちょっとでも気持ち的に良かったようです、ただ綿100%では無いんですよね。

 

オレンジケアさんの快適肌着は1日3回着替えることを考えたら病院で売っているの物の半額ほどでしたので5着ほど買ったと思います。開腹手術をした後は腹帯を巻いたりしますのでサイズは大きい方が良かったです。

 

これも便利でしたよ、ベットサイド用のバッグ、ここにティッシュやウエットティッシュ、携帯などを入れて母の手も届くところに掛けておきました。

今でも月に1度程度入院する事態になっていたりしますのでまだまだ活躍しそうです。

 

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去年は母が植えたパンジー、今年は私が種から育て植えました。

庭の手入れをしていると何だか気持ちが良いです、今までガーデニングや家庭菜園とは無縁な人生でしたが44歳なりの趣味も出来たようです。