40代独身生き方を考える 〜母の膵臓癌と介護離職と自分の人生〜

これからの時間どう過ごすか…日々考えながら試行錯誤して生きてます

母の膵臓癌を振り返る①

 

こんばんはhachiです。

 

母の膵臓癌が分かったのは2019年3月19日、それから1年半母は癌と闘いました、母は体調が悪い事を隠す事が多かったですが苦しい事も多かったと思います、母は自分の最期をどう思っていたのだろう…まだ死なないと思っていたのに気づいたらもう命尽きていたという感じなのかな、最後の2週間位は大麻で意識が朦朧としていたと思うし…でもそれがずっと付き添っていた私には少し救いだった事も確かです、あの状態で意識がはっきりしていて痛い苦しみに耐えなきゃいけなかったとしたらそれは付き添う私もそして何より母が辛かったと思う。

私は霊視とチャネリングが少しできるのだけど8月のお盆を過ぎた頃1度母の事を視た、半信半疑でしたが母の亡くなる日までのカウントダウンが始まってしまった、こういう事は当たって欲しくなかったけどだいたい当たってしまった、でもこの事が私を冷静にしていた部分があるから賛否は考えないようにしようと思う。

 

今振り返ると母の病気が分かり、入院、手術、抗がん剤と治療は進んで行きましたが多分だけど主治医には手術後退院したあたりには母がどうなるか、あとどれくらい生きられるか、だいたい分かっていたように思う、でも、きっと主治医の先生もどこかで奇跡が起きる事を願っていたのかなとも思います。

先生の言葉に違和感を感じ始めたのは今年の2月頃、その時はなぜそんな事を言うのかと怒りを感じた事もありましたし転院させようかと考えた事もありました、でも先生にはもう母の最期が見えていたのだと思う、そして最期までの時間をどう過ごすかの選択を家族に託したときだったのだと思います。

私は母の寛解をまだ願っていたし、奇跡が起こるのでは無いかとも思っていたし、諦めたくなかった…

はっきり今後の方針を先生に求められたのは3月です、この時の選択というのは緩和ケアに移行するか抗がん剤を続けるかという事でしたが私達家族は抗がん剤を続ける事を選択しました、結局実質3ヶ月後には治療をやめる事になりましたがこの時の選択が正しかったのか、私なりに今思うのはどちらを選択しても間違いではなかったという事です。

この時緩和ケアへの移行を選択してたら母は好きなものをもっと美味しく食べられたかもしれないし、どこかへ出掛けることもできたかもしれない…でもきっともっと早く命は尽きていたと思います、抗がん剤を続けた事で食事は美味しく食べられなかったかもしれないけれど生きていた事で見れたもの感じられたものもたくさんあったと思います、だからこの選択には間違いは存在しないと思えます。

この選択をしなければならない時が来ない事を心から願いますが末期の癌患者さんやその家族の方々が選択を迫られる事があるかもしれません、そんな時はどちらを選んでも間違いはないから自信を持って選んで欲しいと思う、どちらを選んだとしてもまだ希望はあるし、状態次第で選択をやり直し軌道修正していく事もできる、一番大事なのはその時起きている現実から目を背けず病気を受け入れ、もしかしたら来てしまうかもしれない最期をどう迎えるかを真剣に自責で考え、患者さん本人の願いをなるべくひとつでも多く叶えてあげる事なのではないかと思います。

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母はお花が好きだった…

お花だけはちゃんと飾ってあげたいと思います。