40代独身生き方を考える 〜母の膵臓癌と介護離職と自分の人生〜

これからの時間どう過ごすか…日々考えながら試行錯誤して生きてます

入院生活② 〜術後〜

こんばんはhachiです。

 

母の肝臓への転移という事実を認める事に時間がかかってしまいました。

今日は術後の事書いてみようと思います。

手術が終わって1週間後一般病棟に移りました、一般病棟に移ってもお腹から管は3本ほど出ているし、タンクは付いているしでこんなになっても人って生きていられるんだなってとても不思議な気持ちでいました。

お腹に力が入らない為起き上がる事はできないしベットの枕の位置まで上がる事もできなかったです。

季節は4月昼間は病室に差し込む日差しで汗ばむ感じ、夜はまだ冷える時期ですね、母は布団が重くてかけられず大判のバスタオルをかけていました。

この大判のバスタオルにお世話になりました。

後にガーゼケットを購入しバスタオルの上にかけるようにしました。

このガーゼケットを2枚ほど買って交換していました。軽いことと、汚れてしまっても病院のものではないので気楽な事、あと何と言っても乾くのが早くてこちらも楽でしたし荷物も軽くて助かりました。

そりゃそうですよね、お腹から何本も管が出ていて傷をガーゼで押さえその上を腹帯で押さえて、ガーゼに血液まじりの腹水が漏れてきたりしていて1日に何度もガーゼを交換、腹水が漏れて服が汚れたら着替えて、腕には点滴、となかなか気が休まずゆっくり眠る事もできないですよね。

前開きの下着と、腹帯は当初病院から言われていた予定枚数は2〜3枚だったのですが腹帯は5枚、下着は7枚程用意しました、それでも毎日帰ってお洗濯して次の日持っていくという感じでした。常に3セットくらいないと汚れてしまっていましたね、ちなみにパンツはオムツなので必要なかったです。

足は浮腫んでしまうので手術の時に履く靴下を履いたりしていました、もちろん1人では履けませんし脱げません。

水を飲みたくても冷蔵庫も届かないし手がテーブルまでやっと届くくらいだったので横にしてもこぼれないような子供用のカップを買ってストローで飲んでいました。

なるべく介護用品よりも日用品に近いものの方がいいかなと思ったのと洗うのが簡単でストローも使い捨てのものを使えるからこれにしていました、ベストだったかはちょっと疑問ですが安価で何度も使えてと考えました。

面会時間中は良いのですがなかなか看護師さんに頼むのも気がひけるようで面会時間が終わって帰る時には朝までの飲み物をテーブルに並べて、携帯をベットの枠に縛り、帰ってきてました。

私は毎日面会に行っていましたが面会できる家族がいないと急に必要になる下着などの準備は大変ですよね、入院生活に関しては私も少しは役に立っていたような気がします。

何だか懐かしいな…

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我が家の遅咲きの梅も咲き始めました、ピンクが濃くて綺麗です。

この間梅の木にウグイスがいました、鳴き方はホーホケキョって、鳴けないみたいでちゅんちゅん〜ジジジ、チュンチュチューって鳴いてました。

朝ウグイスの、ホーホケキョたまに聞こえるのですがちゃんとしたホーホケキョは鳴けなくて音が外れてて寝ぼけながらもズッコケてしまうんですがこの子かな?